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わたしはいっさい批判をしません

「わたしはいっさい批判をしません」
わたしは 人にしてもらいたいことしかしない。
人に対する思いやりや受け入れる気持ちは
そのままわたしに はね返ってくる。
~ルイーズヘイ~

私は常に人を癒し、心に灯をともせるような人間になりたいと思っていますが、 まだまだ人のお手本になれるような、立派な人間ではありません。
そして私の周りにいる人たちの中には、もちろん尊敬できる方もたくさんいますが、 残念なことにそういう人ばかりではないのが現実です。

ただ私たちは毎日いろいろな人と関わり合いながら生きています。
みんながみんな自分に対して友好的なわけではないし、
その人の体調や機嫌によっても自分に向けられる感情は変わるものです。

だけどあまりにも不機嫌な人や、見ていて不愉快な人は、フィルターをかけるようにしています。 攻撃性が強い方や、情緒不安定な方もそうです。 そういう人は負のエネルギーが強すぎて、エネルギーを受け取ってしまうと極度に疲れるからです。

人の不機嫌を自分の感情で量りたくない

あの人はいつも挨拶を返してくれない。
あの人はいつも不機嫌そうだ。
あの人は最近仕事が忙しいから、みんなに不満ばっかり言っている。
あの人は最近、よくわからないけど元気がないな。

人には人の都合があるものです。
人には人の理由があるはずです。

それを自分の受け取った感情で量りたくありません。

あの人はいつも挨拶を返してくれない→じゃあ、私も挨拶するのやめよう。
あの人はいつも不機嫌そうだ→じゃあ、私も不機嫌そうにしよう。
あの人はみんなに不満ばっかり言っている→私もあの人のこと、不満だってみんなに言おう。
あの人は最近元気がない→私には関係ない。放っておこう。

こういう連鎖をしてしまうと、どんどんと周りに広がり、自分の周りの 人間関係がすごく寂しいものになっていきます。
そして自分がされて嫌だったはずの事を、自分が他の人にするようになってしまうのです。

あの人はいつも挨拶を返してくれない。➡それでも私は毎日挨拶をしよう。だって本当はあの人にも挨拶をしてほしいから。
あの人はいつも不機嫌そうだ。➡それでも私はいつも笑顔でいよう。だって、私は不機嫌ではないから。
あの人はみんなに不満ばっかり言っている。➡それでも私はあの人の事を応援しよう。だって、私にも何か助けられることがあるかもしれないから。
あの人は最近元気がないな。➡それでも私は元気に話しかけよう。だって、それで少し元気になるかもしれないから。

こういうやり方はある意味、自己満足かもしれませんね。
相手はそれを望んでいないかもしれないし。
それでも私は人の事をとやかく言う権利は、私には持ち合わせていないと思っています。 だからものさしはいつでも、自分がされたらうれしいのか、うれしくないのか。 それを人にもするようにしています。

仏教でも、自分が他人にしてほしくないものが非道徳・してほしいものが道徳であり、こういう行動を常に心がけることが、人間関係の悩みの解決につながるのだと思います。

それでもし、そんな自分を利用しようとする人や裏切る人がいたとしても、私は静かに悲しむだけです。批判はしません。